いつかは読まねばなるまいと思っていたあの本。

山本昌邦備忘録』を読みました。
まあつまり2002W杯に向かう日本代表の軌跡を追った山本ダンディ昌邦氏の日記なわけですが、いろいろ興味深かった。
前評判では「山本さんのトルシエの悪口本」と聞いたりもしていたのですけど、読んでみてことさらそうは思わなかった。トルシエは確かに奇行もするし自分も選手もスタッフも苦労した、でも日本サッカーに与えた影響はとてつもなく大きい、ということを真摯に書いていたように思う。自分の苦労を、というより、選手やスタッフがそのとき感じたことを自分の立場で話しているというか。

風子にとってはやはりアテネっ子が応援の基本なので、山本さんが書いてるってことになるとどうしてもアテネっ子を思い出してしまう。そしてそれを考えたとき、いちばん感じたのは、「ここまでわかってる山本さんがどうして啓太を外したのか」ってことだった。
確かにベンチ入り18名というのはギリギリで、啓太を入れるなら誰かを外さなきゃいけないわけで、「ほな誰外したら良かったって言うねん」となったらそうなんだけど、『先発とサブでは選ぶ基準が違う。試合に出ずに終わる選手が必ずいる、そういう選手に何がいちばん求められるかというと、チームを支える心を持っているかどうかだ。』とかいうのを読んでしまうと、アテネのあの場に啓太がいなかったことがすごく不思議に思えてしまった。

うーむ。

今日はおかたまの好きな村主章枝ちゃん(フィギュアスケートの子)がテレビに出てたそうで、「小さいころからフィギュアと勉強しかしてへんかったんやってー」とコーフン気味で風子に教えてくれたんですけど、それも山本昌邦備忘録でのあれこれにつながって風子は哲学的に考え込んでしまいました。
プロで第一線で活躍している選手は、やっぱりほとんどのひとが才能に溺れることなく努力してきたわけで、それは風子も素直に賞賛したい。だけど、そのひとたちは幸せだと思った。
同じぐらい努力して、その競技のことしか頭にないぐらい没頭して、なんやったら第一線で活躍している選手よりもずっとその競技のことが好きで、それでも思うところへ飛べない選手がいる。ほんの少しのすき間で運命が分かれて、競技史上に名を残すことができなくて引退を迎える、数多くの名選手たち。
そしてそのひとたちには、人間には、一度の人生しか許されていない。夢や希望を持って日々成長していくことは何歳になってもできることだけど、『競技』という一点においては、やっぱりタイムリミットがある。一度通り過ぎてしまっては取り戻せないもの。2度と見れない夢。永遠の憧れ。

そのことを思うと本当に、やりたいことはやりたいうちにやっておかないとなと思う。風子はこんな人生を送って、今はリアルサッカーばっかり見て、くだらないちっちゃい生き方をしているけど、でもそれでも1度しかない貴重な人生なのだ。風子の歩いてきた、これから歩いていく人生は、誰にも繰り返せない。風子自身にも。
だったらそれで、謳歌しない手はない。好きなものを見て、好きなように遊んで、好きなように生きて、少しでも多くの喜びを知る。人生を楽しむ。もう2度と取り戻せない貴重な時間を笑って過ごさないなんて、そんなばかな。

山本昌邦備忘録』読んだら、もう一度ちゃんとフランスW杯の試合から見たくなった。
そして、葛城北の丸に泊まってみたくて仕方ありません。


アジカンの新曲が楽しみだ…ったのだけど、公式サイトで視聴したらちょっと思ってたのと違った。もう少しジャカジャカしてる方が好きかもしれない。でもちゃんと聴いたら違うこと言うかもしれない。でもアジカン好きです。